ちら裏

ちらしの裏に雑に書きなぐるイメージ

一人暮らしの思い出

大学進学のために上京して早5年になる。板橋区の何処かにある、六畳一間、正方形のワンルーム。冬は寒く、夏は熱い。夜は隣人の騒ぎ声が薄い壁越しに聞こえ、昼間は目の前にある小学校から響く元気の良い子供たちの声が窓を震わせる。

双子のコンロが我が物顔で領地を主張する、とてもまな板なんて置けない狭い台所、平成生まれには使いづらいガス式の五右衛門風呂。ベランダに目をやれば干しっぱなしの衣服が風にそよぎ、部屋の中では2日にいっぺんしか畳まれることのない万年床と、寝坊してゴミ出しの時間に間に合わなかった、コンビニ飯の残骸で腹を膨らませたビニール袋がくつろいでいる。

 

とても人なんて呼べる環境では無いが、田舎と両親から逃げるように東京へ来た自分にとってこの部屋は城であり、初めて手にしたプライベートだった。

 

ホームシックになることは一度もなかった。だが、独りでいるということは寂しかった。ふと気づくと耳に入る「チクタク」という針の音が「お前は独りだ」と言っているようで部屋から時計の類を全て廃除した。夜中に唸りをあげる冷蔵庫は流石に追い出せなかった。

 

たくさん漫画を買い、たくさん本を買った。CDを買って、ゲームソフトも買った。自分の好きなもので埋まっていく棚を見るたびに、私は自分の手で生きていることを実感し、うっとりするのだった。

料理はしたりしなかったりした。無精者だった私は平気で洗い物を2〜3日放置するので、食器洗いの手間を考えると、自然と料理をする頻度は少なくなった。特に冬場は全くと言っていいほどしなかった。何故なら蛇口からお湯が出ないため、冬に洗い物をすると手が水の冷たさでひどく痛むのだ。痛みを我慢して洗い物をする苦労を考えると、やっても洗い物が鍋1つになる鍋料理くらいしか作ることはなかった。

 

 

我が家にはテレビやラジオが無いので、必然的に娯楽を外に求めるようになった。お金が無い癖にバイトをしないクソ野郎だった為に、無料で楽しめる博物館や美術館、他大学のキャンパスや適当に降りた駅の先にある町を探索することで暇を潰した。

出席するのがダルくなった授業をサボり、キャンパスを抜け、飯田橋から歩いて上野に向かう。大学のお陰で金を払わず観られる学術施設の常設展を見学した後は、好き勝手している人達を公園で眺めながら一休みし、寿湯に浸かるか、アキバで買い物をしに行くか、藝大の周りを散策するか、なんてことをよくやっていた。個人的に一番おもしろかったのが中野から吉祥寺まで歩いた時だ。町並みや住んでいる人間、匂い、文化、あそこまで駅ごとにクッキリと違う文化圏は観たことがない。

本当に東京は良いところだと思う。意外と、金のない田舎者には優しい町だ。

 

部屋には時々人を呼んだ。男も女も呼んだ。口々に「狭い」だの「ボロい」だの言うが、なんだかんだみんな笑顔だった。

ゲーム機とモニターが鎮座する、空き場所が殆ど無いちゃぶ台を囲んで、近くのコンビニで買った安くて大きなチューハイと、特売のシールが張ってある雑なつまみを片手に夜が更けても語り合った。それ以外することは無かった。趣味のこと、人間関係のこと、将来のこと。時計が無いのも手伝って、いつまで喋っても飽きが来ることは無かった。朝まで喋って、そこから昼過ぎまで寝て、軽く胃に何かいれて解散する。充実した時間。

 

部屋では時々涙をこぼした。愚痴を漏らした。全てから目を背け、一日中ダラダラしていたこともあった。この六畳一間は私にとって、現実からの避難所でもあった。表では例え辛くとも「大丈夫」としか言えないこの口を、我が家では「つらい」と言わせてあげることができた。人前に出る度にきしむ身体を、温かいお湯や柔らかい布団で包んであげることができた。独りが襲ってくることもあったが、一人でいることはこんなにも快適であるということを知った。

 

 

私は現在新卒の学生として就職活動中だ。この汚くも心地よい場所から離れたくはないが、今後住処を変える必要に駆られたとき、私は何を思うのだろう。新天地への期待を胸にふくらませるのだろうか、それともイヤダイヤダと駄々を捏ねるのだろうか。まぁなんにせよ、一人暮らしは良いものだということは確かだ。