ちら裏

ちらしの裏に雑に書きなぐるイメージ

風呂は良い

風呂は良い。風呂はここではない、別の場所へ私を連れて行ってくれる。

現実ではない、深い深い思考の奥底に。

水中特有の浮遊感と、心地の良い水温によって、私の思考は緩やかなものになり、空間に漂う湯気と、水面から湧き上がる熱気が、空想と現実との境界を曖昧にする。

要するに湯船に浸かっていると、心が落ち着いて、私が大好きな「頭の体操」、考え事がとても捗るのだ。人間関係のこと、学問のこと、今後のこと、趣味のこと、自分のこと…

私が幼いころは、風呂に入ると毎度脳内で考えた物語の設定を展開し、湯の中で一人芝居を打っていたものだ。

今でも物語の設定は覚えていて、天使と悪魔の双子の物語だった。二人は物心つく前に引き離され、正反対の環境で育つ。お互いそれぞれ出会いと別れを繰り返し、その果てに…だったようなそうでなかったような。

 

ただ湯船に浸かっていれば思考が深くなるというわけではない。湯船に浸かったことで得られる「心地よさ」が重要なのだ。私の実家の風呂はまあ大人一人が横になれるくらいの大きさ、深さがあり子供の私にとってはちょうどいい広さだったのだが、現在私が住んでいる家の風呂は正方形の五右衛門風呂であり、シャワーの勢いはチョロチョロ。平成生まれの私には馴染みの薄い、レバーを回してガスを点火するタイプの旧型だ。

うまい具合に湯加減をコントロールできないことが多く、お湯がぬるすぎだったり、逆に時々お湯を沸かしすぎてシャワーを浴びようとすると「あっつい!」と声を上げてしまうこともある。私が思い描く「心地よさ」を得るための環境とは程遠いのが現状だ。

 

そういうわけで、自然と銭湯通いが趣味になった。最初は近所のスーパー銭湯に通い、様々なお湯や、入浴形式、サウナを楽しんでいたのだが、人間なんども同じことをしていると飽きてくるもので、次第に都内近郊にある様々な銭湯に足を運ぶようになった。

やはり湯に浸かった時に足を伸ばせるというのは最高だ。

入館料は格段に高いが、その分人が少なく快適に入浴できる豊島園「庭の湯」

ミニマムだが、充実した設備の中目黒「光明泉」

いかにも銭湯らしい銭湯、上野「寿湯」

などなど…

金銭的な事情からそこまで頻繁には出かけることはできないが、「浸かりてぇな…」という気分になったらなるべく銭湯に行くことにしている。大体そういう時は心身が悲鳴を上げている時か、じっくりと考え事をして、頭の中を整理したい時だからだ。

 

今日は生と死の街、鶯谷に新しくできた巨大銭湯「萩の湯」に行ってきた。

良かった。いい体験だった。日暮里に近いということもあり、そのまま徒歩で谷中銀座まで行き、私の大好きな甘味処である「和栗や」でモンブランを食べて帰った。考え事をしたあとに食べるスイーツは格別である。

 

 

銭湯通いが習慣になってきた現在、これまで私は旅行というものに全くといいほど惹かれなかったのだが(惹かれない理由はまたあとで)温泉地に行きたいなぁとなんとなく思い始めている。箱根、草津、鬼怒川…お金に余裕があれば少し遠出してみようかな。