ちら裏

ちらしの裏に雑に書きなぐるイメージ

休学して1ヶ月経った そしてその成果

私が休学を決意したのは7月の末頃だった。

就職活動を続けていく中で、「今後どうやって生きていくのか」という漠然とした疑問が突如芽生え、育ち、私の心の中ですくすくと大きくなっていった。そしてこの疑問に対する答えを私は導き出すことができず、解決するどころか、いつのまにか私自身を支配されていたのだった。

 

よくよく考えてみれば、私には今後生きていく予定がなかった。私の人生をかけて行うべきタスク、「両親への復讐」。それまで身を焦がしていた、自殺を一度取りやめた私にとって生きていく為の動力源だった憎悪の焰が、様々な人間の価値観に触れていく中でいつのまにか静かに消えてしまっていたからだ。

本来資源というものは外部ではなく自らの内から見出し、まかなうべきだ。

周囲から供給される薪を燃やして生きていた、生きる理由を外部に依存していた私は、それが絶たれた後のことを全く考えていなかったのだった。

 

正直もういちど死んでしまおうかと考えたりもした。Amazon練炭をポチろうともしたが、ふと自殺した祖父を思い出し止めた。

かつて私の居場所だった祖父。

私に「生きろ」といい、自身は生きることに耐えられなくなって死を選んだ祖父。

あんな惨めな最期を迎えるくらいなら生きてた方がマシだとギリギリで考え直した。だが如何せん今後どうやって生きていくのか思いつかない。

金を稼ぐのがいい、趣味に生きるのも良い、家庭を築くこともいい、様々な一般的価値観があるが、私はどれにも惹かれなかった。そもそもとして、復讐それ以外に対する欲求が希薄だったからである。

 

 

意を決し死地に赴くつもりで両親に半年の休学の意志と理由を告げ、なんとか許可を得た私は、とりあえず大学のカウンセリングルームに通うことから始めた。無料だったので金銭面で非常に助かった。

私の担当になってくれたカウンセラーさんはとても素晴らしい方で、私が普段人に言えないような話に対して傾聴してもらうだけでなく、私が囚われている固定観念の分析を手伝ってもくれた。時には自身の経験からアドバイスをしてくれることもあった。

そりゃそれが仕事なんだからと言われればそれまでだが、こういった「重いコト」について真摯に向き合ってくれる人はいなかったので本当にありがたかった。

 

私が1ヶ月の間カウンセリングを通して気づいたこと、成果は以下の通りだ。

--------------------------------------------------------------

 ・頭でいくら理解していても、感情がついてこなければ意味はないということ。

 

 ・私には私を虐げてきた人間たち同様に悪性が備わっていることを認めることが出来ていなかったということ。人間誰しも悪性は備わっているということ。

 

 ・「今まで苦労した分、同様に報われなければいけないという強迫観念に囚われ、「もう頑張りたくない」という声から目をそむけ続けていたということ。

そもそもとして「報われている状態」のビジョンがなかったということ。

 

 ・生きていることが承認されている状態=他人から賞賛を受けている、評価されている状態だと誤解していたこと。その結果「管理する側」という立場に固執してしまった、ということ。

 

 ・周囲からの評価を気にして感情を発露することを抑止していたこと。(人前で喜び、笑い、涙し、何かを欲するということに対して恥の感情を持っていたこと。)

 

 ・個人の持つ価値観が世間一般とはどれだけかけ離れていても、その価値観を抱えていること、それ自体は尊重されるということ。善悪、正しい/正しくないの判断は外部に出てきてから初めて成されるということ。

 

・集団に溶け込むことは大切だが、それ以上に自分にとって居心地の良い集団を作り上げることは溶け込むこと以上に大切であるということ。

自己を絶対的に承認された経験が乏しい自分にとって、居場所を「自分で」作ることはかなり重要であり、居場所=依存先は多数作り上げる必要があること。(一つの居場所に負担をかけつづけないということ)

-----------------------------------------------------------------

週1回、1時間のカウンセリングなのだが、充実した時間を過ごせていると思う。

自分が受けた過去の傷を再び切開するような辛い時間でもあるのだが、自分の心の持ちようが確実に変化していることは分かる。

私は幼い頃から心に虚というか、ぽっかりと穴が開いている感覚に悩まされていたのだが、その感覚はカウンセリングを始める以前と比べて大分収まってきていた。穴が自然と塞がっていっているの感じた。これが「自分を愛する 」ということなのだろうか。

 

自分の欲求が分からないのであれば、自分にとっての好き/嫌いに従順になった方が良い。そして好き/嫌いという気持ちをどんな方法でもいいから表現すること

とのアドバイスをカウンセリングの中で頂いたので、現在は気の赴くままに好きなゲームをしたり、本を読んだり、行きたい場所を訪ねたり、食べたいモノを食べている。そしてこのブログにレビューを書くなりSNSに感想を投稿するなりしている。

 

 まだ、自分の中での生き方の指針については定まってはいない。定める必要もないのかもしれない。ただ、「もう頑張りたくない、楽をしたい」という本音を認める事はできた。この本音にしたがって今後どう動くか、残された時間を使って焦らずに決めていこうと思う。