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ドラゴンクエストⅪ 今のところ雑感

現在私はドラゴンクエストシリーズ最新作「ドラゴンクエストⅪ 過ぎ去りし時を求めて」をプレイしている。まだクリア後の世界の探索どころか、本編すら終わらせていないのであるが、今の時点で色々と感じることがあったので、ここに纏めておこうと思う

 

ゲームが辛くなっていた

ドラクエⅪを買う以前、当時の私は大好きな趣味である「ゲーム」に対して少し疲労感を覚えていた。

Bloodborne、ダークソウルなどのハイレベルなアクションゲームや、ウィッチャー3やペルソナ5といった骨太RPGなど、濃密なゲーム体験を続けざまに摂取していくうちに、どこか私の中で「1クール中のアニメを網羅していく内にチェックすること自体が目的になり、作品を楽しめなくなっていく現象」に似たような感覚が芽生えていることがわかったのだ。作品をプレイして楽しむことではなく、著名な作品をプレイするコト自体が目的になりつつあった。その証拠に、私のゲーム専用棚とスマホの「ゲームアプリ」を置く場所には、ゲーム開始数時間でプレイを放り出した作品群が無慈悲にも天高く積まれたままだ。

ゲームプレイの目的が逆転していることに対し危機感を感じた私は「ARMS」や「スプラトゥーン2」などストーリーがほぼ絡まないゲームを意識してプレイしてみることにした。1本で完結しているオフライン作品ではなく、誰かと遊び、競うPvPのゲームならば、自身のプレイの質を高める為に、能動的に、意欲的にゲームを「こなす」のではなく「遊ぶ」ことが出来るようになるのではないかと思ったからだ。

実際そんなことはなかった。誰かと競い、負かすことは確かに楽しくはあるのだが、私が本来望んでいるゲーム体験とは異なっているからだ。

 

私が望むゲーム体験とは、「感動すること。」

「主人公と共に世界を旅し、出会いと別れを経験しながら最終的な目的を果たす」その旅路が描くドラマの中で心震わされるような体験を得ること。

だが最近のゲームはあまりにも先鋭化、濃縮化され、完食するにも一苦労だ、そんなことを考えていた矢先だった。ドラクエⅪが発売日を迎えたのは。

 

良くも悪くも「古典」であるということ 

私の印象として、ドラクエは「変わらない」というイメージがある。

ドラクエと双璧を成すFFは、常に変化を取り入れることを良しとし、ストーリーだけではなく新作の度にゲームシステムそのものが大幅な変化をすることに特徴がある。それに対しドラクエは全くと言っていいほど変わらないことそれ自体が特徴だ。敵を倒し、レベルを上げて、歩いてダンジョンを踏破し、ボスを倒す。バトルはやっぱりターン制コマンド式。ストーリーも相変わらず「勇者が仲間と魔王を倒す」というもの。

良くも悪くも初作発売当初から根幹となるコンセプトが何も変化していない。かつてこそ新しく革新的だと言われたそれは、様々なゲームシステムが生まれた昨今ではもはや「古典」と言ってしまっても差し支えないだろう。

だが、「古典」という呼び名は、古くから変わらず愛されていることの証左でもある。

温故知新とはよく言ったものだが、今一度古典に立ち返ることで、私が本来求めていたゲーム体験を呼び起こせるのではないか。ゲームに対する新鮮な気持ちを取り戻せるのではないだろうか。そんな希望の元、私は「ドラゴンクエストⅪ」のパッケージの封を切ったのだった。

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※以下若干ネタバレ込レビューになります。ご注意ください。

僭越ながら私はドラクエのナンバリングタイトルを 4.5.6しかプレイしておらず、今まで主だってプレイしていたのは外伝ばかりだ。「イル・ルカ」「テリー」「ジョーカー」など特に「モンスターズシリーズ」と呼ばれるものばかりプレイしていたので、説得力に欠けるレビューになるかもしれないが、ご了承頂きたい。

 

「地続き」であることを意識した世界

私がドラクエⅪをプレイし始めて間もなく感じたのは「この作品は強く『地続きの世界であること』を意識している」ということだ。

そしてこの意識は、「ゲームをプレイする」ことから、「世界を旅する」ことへプレイヤーの体験を拡張させることに成功しているのではないだろうか。

プレイヤーが主人公を操作してからすぐに、「いずれ訪れることになるであろう場所」が既に遠目に見える。ストーリー最序盤でも、物語の舞台である「ロトゼタシア」の雄大さを物語る場面が登場する。

物語が進行し、一度都市や街に赴けば、その土地の住民達が、近寄るだけで話しかけてくる。秘密を抱えた女性や、シモネタをいうおっさん。可愛らしい子どもたちなど会話の内容はなんとも堀井雄二らしく(全て彼が担当したわけではないだろうが、)個性豊かだ。彼らが住む家や町並みなども生活感が漂う仕上がりになっており、「彼らは単なる住民AやBではなく、ここで生活している人間、即ち世界の一部なのだ」ということを理解させてくれる。

 

何も視覚に直接訴えるものばかりだけではない。ゲームシステムの面でも「全てが地続き」であることを意識させる工夫が随所に見られる。

 

これまでのドラクエシリーズでは、「ストーリー(ワールド)」「ダンジョン」「戦闘」はそれぞれ独立したものであり、相互に影響を与えることは全くと言っていいほどなかった。

ストーリーの中で戦い方を指定されることはないし、ダンジョンの中でストーリーに関わるギミックを作動させる必要もなく、ダンジョンの地形によって戦闘の仕方に影響が出ることもなく、出現するモンスターに対しても強い意味が付加されていることはなかった。(せいぜい暗い場所にはドラキーが出るくらいだろう)

 

しかし今作をプレイするとこれまで独立していた3つの要素が、シームレスに連続していることが分かる。

バトルではオープンワールドよろしくその場にいるモブキャラが背景の一部として戦闘中に映り込み、「バトルでしか出会うことのなかった敵キャラクター」が1生物としてフィールド内で思い思いに振る舞っている。

 ダンジョン中のギミックとしては、魔物を倒すことで得ることができる「乗り物」によって、行動範囲が拡張されるなど、簡単なものが導入されている。

「ワールド」から「ダンジョン」への移行にしても、軽いロードを挟むものの、「これから入るダンジョンの入口」が美麗なグラフィックによって描写されているため、違和感を感じることは少ない。

こういった随所に見られる工夫によって、プレイヤーは「ゲームをしている」のではなく「地続きの世界を旅している」ことを自然と意識できるようになっているのだ。

 

この工夫はこれまでのドラクエの中では革新的であり、物語に深みをもたせる演出としては素晴らしいものだ。ただ不満もある。

世界を意識させる工夫が随所に見られるのだが、実際にプレイヤーが触れることができる世界というものは狭い。というのも舞台となるロトゼタシアの世界は、あくまでプレイヤーをEDに導く為にデザインされたものであるからだ。地形は一本道であり、見えない壁やつかむことの出来ない崖が、自由なプレイを阻害する。それはゲームコンセプト上自然なことであり、様々なゲームをプレイする以前の私ならこの点に関して不満は抱かなかっただろうが、昨今の美麗なグラフィックで操作性の高いゲームをプレイした後になるとどうしてもそれらと比較してしまう自分がいる。

 

ただこの「デザインされた世界」も良いと思える部分はある。道が少ないということは、「寄り道を行うと確実に何か良いことが待っている」ということであり、そういう点ではゲームに対してそこまで意欲的ではない人が、ストーリーだけではなく世界を探索しようという気にさせる工夫として良い点と考えることができる。

 

ドラマティックなストーリー

久しぶりにゲームで感動して泣いた。ポケモンSM以来だ。まだクリアしてないのに。

あまり詳しいことは言えないが、今作のストーリーはとてもドラマ性が高い(展開の起伏がわかりやすい)。

特に物語の最序盤は本当に熱い。

旅立った主人公がこれまでの作品のように、辿り着いた城で突然捉えられ、牢屋で出会った青年と脱出劇を繰り広げ、その末にOPが始まる演出は思わず声が出てしまった。

ウィッチャー3しかりゼルダBoWしかりOPが良い作品は名作という独自のジンクスがあるが、このドラクエⅪも名作になるであろう確信を私は得ている。

帰る故郷を滅ぼされ、実の両親も亡くしても、自らの使命に真摯に向き合う主人公。様々な背景を背負った仲間。その展開は私がかつてプレイした「ドラクエⅤ」を彷彿とさせるようなものになっている。

ちなみに好きなキャラはカミュ。やっぱ相棒キャラっていいよね。

 

 

ふんだんに散りばめられたオマージュとオリジナリティ

ドラクエⅪは「過ぎ去りし時を求めて」という表題の通り、歴代過去作品からのオマージュが作中頻繁に登場する。ナンバリングタイトルを3作品しかプレイしていない私にでもわかってしまうほどその数は多い。

色々な種類の「ぱふぱふ」であったり、「へんじがない ただのしかばねのようだ」などの著名なセリフであったり。

特にBGMにおいてそれは顕著で、過去作BGMのアレンジが劇中曲として様々な場面で用いられている。

私は過去作からのオマージュについては正直あまり肯定的ではない。私はストーリーが連続していない作品にはその作品ならではのオリジナリティが欲しいと感じる人間だからだ。

クスッとできる程度なら良いかなとは思うのだが、今作はあまりにもオマージュが多すぎる気がする。

あまりにも過去の良い部分を引っ張りすぎていて、「11ならでは」というところが霞んでしまっているように思えるのだ。BGMに関してはほぼ過去作の名曲に食われているような気がしてならない。

まぁ私が今後「ドラクエ11といったら何?」という質問に対しては「やっぱストーリーだな」と応える予定でいるので問題はないかなと言えば問題はないのだけれど。

 

 

その他 作品に直接関係無いところ

ズバリ、自分がレベリングに対してめんどくさいと思うようになってしまっていたことだ。昔はポケモンの育成だったり、ロマサガ2の最強メンバー作成など、時間をかけて行うレベリングに対してめんどうくさいという感情を覚えることは殆どなかったのだが、ドラクエ11をプレイ中、ふとそう思っている自分がいたのだった。

年齢のせいなのかと考えはしたのだが、おそらくソーシャルゲーム(以下ソシャゲ)をプレイするようになったせいなのかもしれない。大部分のソシャゲはレベリングに最適なフォーマットが事前に用意されており、効率よくステータスを向上することができるようになっている。数字が簡単にあがり、レベルアップに対する演出も過剰に思える程派手だ。だがドラクエはそうではない。レベリングに最適な場所を自分で見つけ、メタルスライムを粘りなんとか倒し、時間をかけてレベリングをする。今作の場合は、レベルアップに伴って得られるスキルポイントを、取得できるアビリティを考えて特定のパネルに振る「スキルパネルシステム」が導入されているので、レベルを挙げた後も時間をかけて考える必要が出てくる。数回同じクエストに行けば良い最近のソシャゲとは大違いだ。

 

別に育成の効率が悪いことを批難したいわけではない。

日頃私がどれだけ効率を重視し、それに囚われていることに気づかせてくれたのだ。本来何かを育てるということは対象と向き合い、時間をかけて行うことであって、一朝一夕で行うことではないのだ。このことに関して語ると字数が1万字近くなりそうなのであとで書くことにする。

「時間を忘れるということ」。時間に追われ、「コスパ」という言葉に縛られていた私に、ドラクエ特有の非効率さ、古臭さは良い意味での新しい価値観を与えてくれたのだった。

 

 

これから楽しみだ

冒頭に書いた通り、私はこのゲームを最期までクリアしていない。どこまでいったかというと、鳥を倒してオーブを入手したところだと言えば分かる人にはわかっていただけるだろう。EDまでどれほどの距離があるかは感覚としてまだわからないが、必ずやり遂げたいと思う。

このゲームは名作だろうという確信を、現実のものにするために。そして、再び「ドラクエⅪは最高だった」とこの場所に書き記す為に。