ちら裏

ちらしの裏に雑に書きなぐるイメージ

無題

まだ就職先が見つかっていない。このまま行き着く先はおそらく地獄だろう。いや、今足を踏みしめているこの場所が正に地獄か。こうした地獄は何度も経験してきた。その度に乗り越えてきた。しかしこれまで乗り越えることが出来たのは、乗り越えた先に明確な希望があると信じ込むことが出来たからからだ。だが今は違う。光が見えない。この先自分が生きている姿が想像できない。

私が現在就職活動に失敗している理由は、自分自身よくわかっている。正直、自分が現在生きていることが予想できなかったし、今後生き続けるということが予想できなかった。その為、得意なこと、やりたいこと、食いっぱぐれないこと、というような基本的なことそれ以前に「仕事をしながら生活している自分のイメージ」が全くイメージ出来ないでいる。じゃあ死ぬのか、と言われたら、それでいいかなと思うほどに。だから志望動機を喋ってもイマイチ作り物感が出てしまうし、「生きているイメージが沸かない」から、どれだけ働きたい理由を表面上組み立てても面接時に「キミは本当にやりたいことが定まっていない」と見抜かれて落とされてしまうのだ。


どうして「自分が生きていることに対してイメージが沸かないのか」というと、それはこれまでの私の生き方に原因がある。

 

私は高校時代まで、親にDVを振るわれ、同時に周囲からはいじめを受けて生きてきた。

毎日自殺しないように必死だった。人であることに耐えた。味方など一人もいなかった。理解者であった祖父は自殺し、無理をするなと私を諭した叔母は実は不倫者だった。
誰も信じることが出来ず、人間と自らの運命を激しく憎み、静かに怒り狂いながら「ただその日を生きること」に自身を最適化し、いつか夜が明けることを信じて日々を送り続けた。

なんとか生きようと親元を離れ、1浪の末、大学に入学した私は、それまでの20年間で手に入らなかったものを埋めようと様々なコトに手を出した。とにかく必死だった。大型イベントの自主開催、コミケで本を頒布、及びスタッフ活動、ライターとしてのバイト…etc 

これまで規模の大小数々のことをしたが、正直、何も私には満足感や、達成感というような感慨は残らなかった。
「日々を生き抜くことに最適化された」私にとって、感慨を感じる機能は余計なものだったからだろう。

 

いわゆる普通の人達は自分の中にそれぞれの物差しをもっている。それは客観的に物事を測る為のものではなく、極めて主観的な基準だ。「『自分にとって』、何が好きで、何が嫌いなのか、何が正しくて、何が許せないのか。」

そしてこの物差しは、それまでの人生の中で少しずつ形成されていくものだ。

私の心の中にはその物差しがない。私には好きなものもないし、嫌いなものもない。
許せないコトもなければ、プライド、誇りといったものもない。
例えば、私の家は蛇口を捻ってもお湯が出ない。確かに冬場は不便で、周囲の人は家を変えろと常々言ってくるが、私は別に「辛かったら辛くなくなるまで耐えればいいと思っているので気にしないよう」にしている。2年前に洗濯機が壊れたが、別に手洗いなりコインランドリーですませばいいと考えているので壊れたまま放置している。お金もないし。

私の中に「物差し」は不要だった。幼い頃から理不尽にさらされる中で、もし、まともな価値判断基準を維持し続けていれば私はとっくにこの世にいなかっただろう。もしくは犯罪者にでもなっていたかもしれない。

 

だがせっかく大学に入ってまともに人と関わる機会を得ることになっても「物差し」がないせいで、友人、恋人関係を維持することが困難になってしまっている。

「人間社会で生き抜くことに最適化」されたおかげで、「相手が私にして欲しいこと」は手に取るようにわかるのだが、逆に「私が相手に望むもの」であったり、「私自身が相手に提供したいこと」が皆無なため、私はつまらない人間であるとして自然と人は離れていくし、人間を憎んできたこともあって、他人に対する嫉妬やコミュニティそのものに対する違和感からかすんなり人の和に入っていくことに対してどうしても抵抗感がある。

 

何もかも手遅れだった。およそ20年の中で切り捨てたものを取り戻す為に、3年という月日は短すぎた。「その日を生き抜くこと」「これまでを取り戻すこと」しか考えていなかったお陰で自身の将来について全くといっていいほど想定していなかった、というより「いつのまにかここまで生き延びてしまった。」さらに所謂「順風満帆に生きてきた人」と関われば関わるほど、私の異常性を自覚することになり、今後人間社会の中で生きていけるのかということに対して激しく絶望を覚える。


はたして私は生きてていい人間なのだろうか。これまでは「生きていればいいことがある」と信じることができたからこそ、地獄を生き抜くことができた。だが、生きれば生きるほど、地獄の地平線の先にある景色は地獄でしかないことが鮮明になっていく。永劫回帰の中で、私は超人になれるほど強くはない。理解者は私に愛想を尽かし、頼れる人もいない、そもそも助けの呼び方すらわからない暗闇の中で、もがき続ける体力が私にどれだけ残っているのだろう。はたして私は生きてていい人間なのだろうか。