ちら裏

ちらしの裏に雑に書きなぐるイメージ

公園日和

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アパートの階段沿いに生えている紫陽花がとても綺麗だ。どことなく薄暗く、どんよりとした空気に包まれた6月に、梅雨による低気圧のせいで不調な身体を無理やり起こした自分へのご褒美だ。とりあえず外に出てよかったなと思える。

 

 

私は公園に行くことが好きだ。わざわざ遠方の公園をめぐることも好きだ。

 

その理由は「公園の自然が好きだから」だ。

木漏れ日の中ベンチに座って深呼吸をすると非常に落ち着く。自然が私を現実から引き剥がしてくれているような気を覚える。

かつて中高生だった頃からこの習慣は続いている。学校へどうしても行きたくなくなった時、生きることに対してどうしようも無く逃げ出したくなった時、学校をサボって公園のベンチや原っぱに寝そべり、雲を眺めながら深呼吸すると自然と胸騒ぎが止んでいた。不思議と「生きよう」という気になったものだ。

公園独特の「人工的にコントロールされた自然」がもたらす非現実的な空間が、日々の喧騒から私を隔離し、自分を見つめ直す機会を与えてくれる。

特に今の季節は木々が青々と美しく、カエルの鳴き声がとても心地よい。 蚊が鬱陶しいのが玉に瑕だが。

 

私が公園を好いているも理由はもう一つあって、一言で言えば「人間観察」が面白いからだ。

東京の公園には田舎のそれと違って 普段から利用している人が沢山おり、多種多様にそれぞれの行為を楽しんでいる。先述した通り、公園が現実から地続きではない場所であるからなのだろう。

散歩している夫婦、運動している人たち。球技で遊ぶ子供たちや、ピクニックを楽しむ家族、楽器の練習をする人。踊ってる人、などなど。

そして公園毎に、言い方は悪いが「利用している人達の特徴が異なる。」これがまた面白い。

団地の近くであれば、なんとも庶民でまったり暮らしていそうな人達が多く、服装もどこかでみたことあるような感じだ。BBQやピクニックなどを家族みんなで楽しんでいたり、子どもたちが近所の友達どうしで遊んでいる光景をよく見る。

これが都心近くになると、これはセレブだなという大人がよく見られる。みたことのない服を着たあきらかに育ちのいい幼い子供がキャッキャと片親と遊んでいるのをよく見る。

遊びに付き合っている親御さんはなんとも言えない表情をしていて、苦労してるんだなぁと思わされる。逆に子どもたち同士で遊んでいるところは中々見ない。繁華街で遊ぶのだろうか。

駅の近くにあると、若いカップルや海外から来たであろう人達が多い気がする。デートスポットや観光の休憩場所として活用するためなのだろう。

 

こういったように、公園1つ1つに独特の文化、ノリが存在していて、それを観察するのが面白い。そして参考になる。

 

私は現在「どういう風に今後生きていけばよいのか、自分にとっての幸福とはなにか」ということに非常に真剣に悩んでいるのだが、公園に行って、多種多様な人達が多種多様に楽しんでいるのを見ると、幸せの形って1つじゃないんだなぁということを実感として認識することができ、良さを感じる。

 

悩んだら公園に行って深呼吸したあと、飲み物片手に人を見るといいと思う。