ちら裏

ちらしの裏に雑に書きなぐるイメージ

何故「広告を作る側」と「広告を依頼する側」が「対等ではない」のか

思うところがあったので書く。

d.hatena.ne.jp

という記事に関して様々な批判がよせられているが、「広告が好きかどうか」に関して、上記の記事筆者と同じく私も広告は好きだ。

 

いろんな会社が自社の商品を「こんなにいいものですよ〜素晴らしいものなんですよ〜」とあらゆる手段を駆使して世の中に訴えかける。画像で、映像で、文字で、記号で、音で。人間の感性に訴えかけることで既存のプロダクトに「架空の価値を持たせる。」

 

大学で「人間の知識、認識能力とはなんぞや」という分野を勉強している私にとって、広告ほど興味深いモノはない。0から1を創造する技術は正にクリエイティブだ。

 

私が「何故」と思うのは、なんで上記の記事で筆者が書いているように「広告を作る側」と「広告を依頼する側」が「対等ではない」のかということだ。

してこれは間違った認識ではないか。

 

 

思うにこれは同人における2次創作とオリジナルの問題に似ていると考える。

「あくまで広告は2次創作であって全てはオリジナルありきなのだ、私達クライアントの商品があるからこそお前らは活動できているのだ」、という間違った認識があるのではないか。

 

同人の世界において2次創作はあくまで原作ありきのもので、原作に対して「迷惑」をかけてはいけないという不文律が存在する。

そして広告とは「架空の付加価値を創り出すこと」だ。価値を付与する対象があって初めて成り立つものだ。その為、原作=クライアントには「迷惑」をかけてはいけないという不文律が発生しているのだろう。だがその認識は間違っているのではないか。

 

 

では何故間違っているのかと言うと、それは原作があって初めて成り立つ同人の2次創作(上下構造な関係)とは異なり、広告は商品と共生の関係(フラットな関係)にあるからだ。

 

「知られていない物は存在していない」というのと同じで、知られていない商品はどんなに素晴らしくとも売れない。広告があって初めて存在が認知され、他社の商品と差別化され、売れる可能性が生まれるのだ。そして広告は先程述べた通り価値を付与する対象があるからこそ成り立つ。

 

広告と商品はお互いに支え合っていくべきだし、クライアント側が依頼する自由があるなら広告だって仕事を選ぶ自由もある。互いに文句を言い合う権利もある。文句を言うなという権利は双方にない。

もっと広告は自分に自信を持って欲しい。そうすればカラオケで過剰接待する必要なんてないと思うんだよなぁ。