ちら裏

ちらしの裏に雑に書きなぐるイメージ

実家の飯と東京の飯

 私が育った家庭はいわゆる「メシマズ」家庭だった。両親は共働きであった為に、平日は祖父が主に私の食事を作ってくれていた。祖父が亡くなった後は基本的に生協で購入した作り置きの食品を自分で調理して(調理と言っても簡単なものだが)食べていた。

調理慣れしていない祖父の料理は煩雑で、味付けがとにかく濃く、特に野菜に関しては中まで火が通っておらず、ゴロゴロしておりとても食べづらかった。曜日によって出て来るメニューが固定されており、特に木曜日のカレーは、じゃがいもが拳の半分くらいあるくせに中心部分はシャキシャキしていて、芽の処理も適当。そりゃもうひどいものだった。これのせいでカレーのじゃがいもに苦手意識を持つようになったくらいだ。

平日に家族が食卓に中々揃うこともなかったので、TVをおかずにご飯を流し込んでいたのを思い出す。それでもまぁ、不味いというわけではなかったのだが。

 キツかった祖父の料理とはうって変わって生協の飯はいい意味でも悪い意味でも味気なかった。ケチャップや焼肉のタレを胃に流し込まれるような祖父の料理と比べて、冷凍保存され、パッケージに調理方法が書かれた生協の食品は、無機質な、まるで消しゴムのような味がした。

 

暫くして後、大学に進学し東京で一人暮らしを始めた僕は、その食事の質の高さに驚いた。「いろんな味がする」のだ。ただ焼いた肉一枚にしてもそうだ。臭みのない香ばしさ、脂の甘さ、動物由来の肉肉しい食感。初めて肉の万世で食事をした時、これが肉かと、思わず唸ったものだ。

 そうして食事に驚いている内に、「食べ歩き」が趣味になった。

東京はコイン1枚であらゆる場所に行くことが可能なので、そこまで気張らずともいろんなお店を渡り歩くことができた。f:id:morokyu:20170608141351j:plain

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 初めて800円も出して食べたラーメン、家の味とは全く違ったカレーライス、いままで見たこともない形をしていたデザート、正直美味しくないと決めつけていたケータリングフードの数々、どのおかずから食べようかさんざん迷った定食…東京で食べた飯はどれも新しい発見に満ち溢れていた。

だが美味しいご飯を食べてばかりいると、時々、祖父が作ってくれたあの料理たちが頭の中をよぎるのだ。あの「男の子が喜ぶであろう味をガンガンに煮詰めた料理」が。もう勘弁して欲しいと思っていたにも関わらずだ。

 大学2年生の時、ふと大学での会議の帰りに最寄り駅前の立ち食い料理屋に入った。一人暮らし故の栄養不足に悩まされていた私は無性に野菜を欲しており、とりあえず半日分の野菜が摂取出来るという「五目炒めライス」を注文した。出てきたのは、ウスターソースと焼肉のタレで炒められた野菜達と、ごはんと味噌汁。キャベツは葉の部分だろうが芯の部分だろうが関係なくざく切りにされており、油を吸ってシナシナ、人参とピーマンは熱が通っているのかわからなかった。正直ため息をついたが、腹も減っていたので手早く済ませようと思い、とにかく野菜炒めを口の中にかきこんだ。

芯が硬い。ピーマンがえぐい。味付けが濃い。白米で中和する。炒めを入れる。白米を頬張る。味噌汁を一口。塩辛い。水で流し込む。

正直、良い体験ではなかった。それでもまぁ、不味いというわけではなかったのだが。

 

今ではその店に定期的に通う様になった。私はおふくろの味というものをよく知らないが、この時々無償に食べたくなるような感覚がそうなのだとしたら、そうなんだろうな。